モリー先生との火曜日

モリー先生との火曜日

この「モリー先生との火曜日」という本(映画)は、モリー先生が死を目前にしながら昔の教え子であるミッチにもう一度毎週火曜日に「最後の授業」という名のもとで人生の様々な問題についてこたえてくれています。

「モリー先生との火曜日」は、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵された、モリー・シュワルツ教授が死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った、「最後の授業」を記録したノンフィクション小説。著者はアメリカのジャーナリストのミッチ・アルボム。同書は、1997年にアメリカで出版されベストセラーを記録。1999年に映画化され、2000年度プライムタイム・エミー賞、2000年度ファミリー・テレビジョン・アワード(映画賞)、2001年度全米脚本家組合賞(脚本:トーマス・リックマン)などを受賞。
(出典:Wikipedia)

モリー先生はミッチとの第八火曜日の授業で「この世で大切なものとは何か」について語ってくれました。

みなまちがったものに価値をおいている。それが人生への幻滅につながる。
洗脳ってどんなふうにやるか知っているだろう?同じことを何度も何度もくり返して聞かせるんだ。この国でやっているのはまさにそれだよ。物を持つのはいいことだ。かねは多いほうがいい。財産は多いほうがいい…。ついには、めんどうくさくなってほかの考えを持たなくなる。普通の人間は頭が朦朧として、何が本当に大事なのか見境がつかないというわけさ。

では、なぜ人はこんなにも簡単に洗脳されてしまうのでしょうか。

この人たちは愛に飢えているからほかのもので間に合わせているんだよ。物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたい。
だけど、金や権力をいくら持っても、そんなものはさがし求めている感情を与えてはくれない。それを一番必要としているときにね。

自分の中にあるもの気づきたくて、誰かの中にある何かを探し求めて、気がつくと年を取っているかもしれませんね。

また第九火曜日は、「今という瞬間に存在することの大切さ」について語ります。

その場に完全に存在しているっていうことが大事だと思う。つまり、誰かといっしょにいるときには、その人とまさにいっしょでなければいけない。

人と一緒にいることは、とても難しいことかもしれません。誰かと一緒に話していても、頭の中は、自分のことで頭がいっぱいだったり。なぜそうなるのかをモリー先生は、こともなげにこう言い放っています。

多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。
人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと。

第12火曜日は「許しに」ついてです。

許さなければいけないのは人のことだけじゃない。自分もなんだ。そう、やらなかったすべてについて。やるべきなのにやらなかったことすべてについてね。

そして、第14火曜日。

モリー先生は、青白い皮膚とぎょろっとした目を向け、それでも「君はいい子だ、・・・じゃあな」と言い残して旅立ちます。亡くなる前週まで愛弟子ミッチと最期に思うこと、人生の意味や愛について、思いの丈を語り尽くすことができたことは、とても幸せなことだなと思います。

モリー先生のこんな言葉を忘れずにいたいです…

文句を言っている相手に、あなたは一番依存しているんだよ。人生でいちばん大事なこと。それは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ。

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