by lui lox
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人間の成せる技は、本当に計り知れない影響を及ぼしていて、嘘というものもその中の一つかなと思います。

よい嘘、わるい嘘、そんなふうに分けていたり。

これは良い嘘だから、そう言いながら発っしている自分はすごく悩みもがいていて、それが相手の幸せのため、なんて思いこませたり。良いことをしたと戒めではなく自らを慰めながら。

それは、光を待ち望みながらも傷を癒す術が見当たらないと駄々をこねるような。

当たり前のように、この世に生まれてきたと思っているような。

幸せになるために頑張っているけれど、大事なものが離れていくことが可哀想だと言い張るような、そんな感じ。

がんじがらめに、逃げないように、現実を見て見ぬ振りをしている今を自覚しない限り、心は次第にはなれ、カラダは中身が抜けていること
に時間の経過と共に気づくときがきます。

大事にしたいそれ、にも、あなたと同じように、心があります。もしも、空っぽだった、と大事だったものが大事でない、そんな錯覚で引き離した先には、悲しみではなく、悔しさや傷つきになることもあります。

誰かと共鳴し、共鳴した感覚を得ること、それが愛だとわかったとき、一生懸命なあまりに共に歩む心の方をおざなりにしたりはき違えていくと、共鳴した関係は、いづれ互いに苦しむ ”しがらみ” になってしまいます。

あなたは、あなたに、良い嘘だと言い張りながら、嘘をつき続けていないでしょうか。

身体は心次第で動いていくけれど、心が動かしたくないと感じていることは、「仕方がない、○○のためだから」と、そんな言い訳や何かのためだ、と理屈をペタリ・ペタリとしちゃうものですね…

嘘は、戒めを与えてくれたり、真に気づきたい気持ちよりも壊れたくない何かに怯える証かな。

真実のつぎには、光があらわれ、嘘のつぎには闇があらわれ、良い嘘で傷つけてばかりなら、あなたの大事なものはどんどん、離れていき、意固地になればなるほど、光と闇が対立し、本当は、二つで一つになれるはずが別々に存在していくのが理想、と、互いに心痛めながら離れていかざるをえなくなったことはないでしょうか。

あなたの良い嘘は、本当のあなたの思いが変化したもの。裏腹な言葉や態度に気づいた時、その嘘を生んだ理由を探しにフワリといってみるのもいいですね。

嘘で塗り固めた言葉は、遠ざけていく何かの方が多くなり、抜け出すなんて不可能にする術にしかならなくなっていく。

本当はよい思いが、大事にしているものを自ら引き離す鍵となりませんように。

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