受けとることは、与えること
受けとることができる人は、与えることができる人
もしも、あなたが3歳の子ども
で公園で見つけた雑草や落ち葉や石ころ
が自分だけの宝物だと感じ
それを一生懸命拾って
お家に持ってかえった日
大好きな大好きなお母さんやお父さん
にプレゼントしたいと思い、自分の宝物だけど
あげる、と渡したとして
イメージしてみてください
その時、受けとる側の、お母さんやお父さん
あなたがイメージしたお母さんやお父さんはそれをどんな風に受けとりましたか?
「あなたの大切な宝物をもらえるなんて、とってもうれしい、どうもありがとう」
と心からよろこび、優しい眼差しと笑顔で受けとってくれるお母さんやお父さん
「公園で拾ってきたものなんてゴミでしょう。いらないよ、それに家が汚れるじゃない」
と険しい顔で、そんなものはゴミだと言い、受けとらないお母さんやお父さん
あなたが渡した雑草や石ころ
は大好きな両親のために自分の宝物
を自分以外の人に「与えたい」という
気持ちの顕われでした
しかし
この心から愛をこめて与えるという行為は
受けとる側がどう受けとるかによって変容します
雑草や石ころが愛の顕われだと、心を受けとることができたとき
それは、その子どもにとって、愛を与えてもらったことと同じです
しかし、そんなものはゴミだと、受けとることができなかったとき
それは、その子どもにとって、愛を与えてもらえなかったことと同じ
ヴィジョン心理学のチャック・スペザーノ博士は、与えることと受けとることは同義語だといい、また、与えるとは、本来の自分自身を表現し、人と分かち合うことだと定義しています。
受けとることで
与えることが最高の形の
ひとつとなり
受けとることで
まわりの人たちにも豊かさ
が伝わっていき
受けとることで
周囲の人たちも愛されている
と感じる
もしも
受けとることが苦手
だと感じているとしたら
何かを与えられたとき
ただ楽しんで
ただよろこんで
そのまま受けとってみる
もしも
与えることはできても
受けとることがなかなか出来ない
という場合
受けとることが
わるいこと、いけないこと
犠牲にすること、犠牲にされること
受けとることは
自分を犠牲にする、相手を犠牲にする
と同義語なのだ…
そう感じているのかもしれません
それは、あなたの中に
自分がしたくないことをして相手を喜ばそうとすること
無価値観から与えること
奪うために与えること
そんな
与えなければ責められた
与えられることで苦しんだ
与えるふりをされて傷つき失った
犠牲があったからなのかもしれません
その場合は
本当に与える愛と犠牲はまったくちがうのだ
ということを知る必要があります