浮世の義理にはNoという

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■浮世の義理にNOという、とてつもない熱意をもちながら

重要ではないことだから、
そう思って、いつもいつもYesと言っていると

なにか本当に重要なことに対して、
Noといってしまうことがあります

最近はあまり聞かなくなった
けれど、「イエスマン」という人間でいると
大きな価値を見失うことがあって

上手にNoと言えることが
とても重要なときがあります

Noと言えない理由が
自分の自信のなさから、だったり
嫌われることの怖さから、だったり

何かを断ることで渦巻く自分の感情の煩わしさ
なんていうものから逃げるためにYesと言っていたり

そんなふうに本当はNoと言いたくて
でも言えなかったばっかりに大切なことやもの
を何度も何度も失っていたとしたら

失ったものがものやお金ならまだよくて

大切な存在や信頼や友情、愛情
仲間との絆や自分自身の何か、なんかだったりすると

無理をして我慢をして
何かの為にとそう考え願い言ったYesに

なぜ失うことになるのだろう
と自身ですらも説明のつかない矛盾や焦りや憤りに
苛まれたものがあるのだとするのならば

そのYesは自分が置き去りになったYesだと
もう賢明なあなたは気がついていて

Noと言える、というのは

目標を知っているということ

優先順位を知っているということ

自分の生き方をもっているということ

核となる本質を見極めているということ

-Noと言おう

ゴシップばかりをかわそうとする友人に

うしろ向きなことや皮肉な考えをひろめたがる同僚に

嫉妬を自身の成長の糧ではなく、
引きづりおろすためのエネルギーにする組織人に

あなたの夢を笑い、そんなことは
到底無理だと、わが身を疑うようにしてしまう身内に

不器用でも無様でも、今を必死に生きているその生き様を茶化す人たちに

あなたから時間もエネルギーも奪う浮世の義理に

今日も肩の力をぬいてリラックスして♬

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