感情を軽く扱われる、無視や否定される経験が多いとき
「感情」よりも「行動」の部分だけをクローズアップし、褒められてきた経験が多い場合、なかなか自分や自分以外の人の「感情」を認めることができません。
「感情」の部分を軽く扱われてきたり、無視されたり、否定されてきた経験が多い人は、こんなことが大人になると増えてきます。
例えば、あなたの周りにいるこんな人。こんな問いかけをしたくなるシーンないですか?
なぜこんなに攻撃的なのだろう。
なぜこんなに悲観的なのだろう。
なぜ人の気持ちを考えないのだろう。
なぜこんなに思い込みだけで話をするのだろう。
なぜこんなに周りが見えていないのだろう。
なぜ人の話を聞かないのだろう。
この人は学習能力が低いのだろうか。スキルが足りないのだろうか。それとも人間性の問題か、愛情不足で育ったのか。はたまた自分の関わり方に原因があるのだろうか。原因を考えても見つけられず、対処法も見つからず、止むを得ず、会社などの組織であれば、人を変えることで対応するしかないよね、となるかもしれません。
最近は、誰かが叱られているところを見て、自分もやらないようにする(負のモデル学習)より、誰かがほめられると自分も同じことをしてみよう(正のモデル学習)でもなく、自分がほめられないことを不満に感じ、自分もほめてもらいたがる傾向が強いようです。
これは気持ちをしっかりと受け止められることの経験不足や行動や結果に対してのみ、ほめられたり、認められる経験の多さがあるようです。
行動を認めるだけでは、自己中心的な傾向が強くなりやすく、他者との関係性を俯瞰する力があまり発達しないのでは??と感じます。
結果を出したんだから別にいいでしょ。
最終的にうまくいったんだからいいでしょ。
お金を払っているんだからいいでしょ。
と結果的に目に見える部分さえ整えば、誰かの気持ち、自分の本音、場の調和、ルールや文化への配慮、価値観の尊重などなど。
そんな情緒的なものに対しては敬意をあらわさず、自分は関係ないといわんばかりに、自分が得たい結果、結論を優先する部分が強くなります。
ここでのポイントは、繰り返しとってもしつこく書いていますが、愛着形成期においてどんな気持ちでも、その気持ちをまず認めてもらう経験です。
その次に、みんなそれぞれが違った気持ちを持っていることを知り、自分だけではなく、相手の気持ちも大切にする経験をすること。その先に、行動があるということです。
この順番を間違えると大変な勘違いを生み出します。順序、順番が違うだけで大きな違いができますね。
感情を認める→行動を認識し振り返る→感情を認める
この循環が人の成長や思いやる気持ちを生み出すのではないでしょうか。