正直さは本当の心を取り戻す
自分に正直にいられたとき、心の状態を見てみるととても安心しているものだなと最近あらためてよく感じます。正直に気持ちを言えるときの自分は、とても自由だし、解放的だし、何より自分を大切にしている、自分はOKという実感が沸いてくるんですね。
その反対に自分に正直でいられないとき、自分の正直なハートの声が見えなくなったとき、そこにはすごく思考の力が働いていたり、本当の自分みたいなものとの分離感があったり、すごく孤独を感じたりするものだと思うのです。
例えば、「このあとどうしたい?」とか、「今何食べたい?」と聞かれたとき。
こんな日常の中によくある問いかけに対しても、本当にしたいことや食べたいものがぱっと頭に浮かんで、そのまま答えられたら、そこには私らしさとか、ありのままの自分とか、楽さ、自然体、正直さ、自分は大丈夫、自分はOK、という表現になるんだと思うんですね。(もちろん現実的にできる、できない、食べる、食べないはそのときのタイミングやTPOであると思います)
ここでの問いは、そもそも自分はこれをしたい!これを食べたい!と正直な自分の気持ちを表現できないとき、もしくはその正直な気持ちを言ってはいけないと自らのニーズに蓋をしたり、禁止をしたり、抑圧をしたり、ネガティブな感情が沸いてくるとき、人は苦しみとか生きづらさを感じていて、心の状態を見たときに何かSOSのサインが出ていませんか?ということです。
正直でいられるというのは、ありのままの私でOKということなので、今の自分の状態を受け入れているということ。それは、自分について嫌だと思っている、ダメだと思っている部分、許せないでいる部分、醜いと思っている部分なども受け入れているということでもあって。
こういう自分の中の嫌な部分(心理学的にはシャドー)を受け入れるはたいていとっても抵抗があるもので。こういうシャドーの部分がぜーんぶなくなるまで、私は正直ではない!私はOKじゃない!と思ったりするものです。もしくは、頭では正直でいる方がいい、自分を受け入れた方がいいと分かっていながらも、どうしてもできないということも多いと思います。その場合には、やっぱり個人カウンセリングやセッションでそのおおもとを探っていき、潜在意識にある思いを見ていくことをおすすめします。
ここで書けることは、正直な自分の気持ち、自分なりの価値観をそのまま主張するのは、「私はこう思います!」と言っているだけだということ。その先の相手の反応は相手が決めることですし、そこは自分のコントロールの範疇ではないんですね。(境界線の考え方ですね)
正直さやありのままは、いつのまにやらわがままにもなりかねない部分もあるので、ひとまずは、「私はこう思います!」と言うところからはじめてみるといいなと思います。