人生は裁きの場か、愛の場か

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”裁きの場”とは

どんなことにも
すんなりと伝わるときと
ぜんぜん伝わらないとき

面白いほど上手くいくときと
全く上手くいかないとき

ってあると思うんです

たとえば

誰かに対する大事な思いも
相手にその思いを受け取る準備が
できていないことで一方通行 になったり

あなたのためになるから、という思いも
そのときの相手の感性に響き合わないことで
ただの押し付けになったり…

そんなとき

「どちらが正しいか?間違っているか?」
「どちらが善か?悪か?」
「どちらが常識やルールに合っているか?」

というような価値観を前提に
その出来事や経験を認識していくとき

実はその裏で
本当はどんな気持ちが走っているのか
というと…

”正しさ”なんですね

自分の考えの方が正しい
相手の考えの方が正しい

この”正しさ”を証明するために
人は悪者をつくり出してしまったり

”正当化”にこだわると
自分も含め悪者が必要になりますね

そして

それぞれの中にある
損得、正否、善悪、ルール、常識
という項目に照らし合わせて

ジャッジする
これが”裁きの場”

ジャッジの思考に慣れ親しむと
身体の反応としてはどうでしょうか

裁かれることで
危機回避モードに入り
緊張状態が続いてしまい
安心できなくなるんです

安心できないということは
心からほっとしていないんですね

なので
この緊張状態を緩ませないと
人によってはうつ状態になったり
体に何かしらの症状が出ることも
あるんですね

ここで”愛の場”が大切
になってくるんですね

 

(つづく)

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